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音楽と旅行と食べ歩き、イタリアに留学していたクラリネット奏者+元イタリア・スローフード協会会員、奥田英之の話
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さようなら、ルチアーノ
  

僕が今年イタリアに滞在していた時に退院したテノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティ。
友達たちと退院した話をしていたのは、フィレンツェで夕食をしている時のことだった。


Luciano Pavarotti : ルチアーノ・パヴァロッティ

1935年10月12日、Emilia-Romagna(エミーリア・ロマーニャ州)
Modena(モーデナ)で生まれたテノール歌手。


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パヴァロッティの父親(フェルナンド)は、パン職人の傍ら、アマチュア・テノール歌手だった。

モーデナ出身の同い年のソプラノ歌手Mirella Freni(ミレッラ・フレーニ)は、幼なじみで、同じ乳母によって育てられた。
これほどの二人が同郷で同い年と言うのは、ほとんど奇跡に近いと思う。

プッチーニ作曲の歌劇「ラ・ボエーム」のDVDで、この二人が一緒に歌っているのを見ることが出来る。
(指揮:ティツィアーノ・セヴェリーニ、サン・フランシスコ・オペラ、ミミ:ミレッラ・フレーニ、ロドルフォ:ルチアーノ・パヴァロッティ)


パヴァロッティは、1961年に出身地モデナの近くのReggio Emilia(レッジオ=エミーリア)市立劇場で、この「ラ・ボーエム」のロドルフォ役を歌い、オペラでの初舞台を踏んだ。

「ラ・ボエーム」のロドルフォ役はパヴァロッティにとって、重要なレパートリーのひとつだったのは確かだ。


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2007年9月6日、アンコーナからミラノ方面に出かけるために朝から用意をしていた。
朝からテレビでは、パヴァロッティの過去の映像で特集をやっていた。

初めはわからなかった。。。

しばらく、テレビを見ながら用意をしていたら、なぜ特集をしていたのかが分かった。。。

自宅で治療中だったが病状の悪化により、数日間の間に何度か意識不明に陥っていた。
6日の朝、友人や前妻に見守られながらモデナ(Modena)の自宅で亡くなった。


7日の朝、ほぼ各新聞はパヴァロッティが1面を飾った。
新聞の中には、沢山の特集が組まれているものだった。

7日の夕方、僕はミラノからフィレンツェへIC(インテル・シティ:客車タイプの特急)で移動していた。
モデナ駅で停車をした車内から、パヴァロッティの冥福を祈った。
モデナ駅のホームは、普段と全く変わらない雰囲気だった。


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写真:パヴァロッティが亡くなった事を知らせた2007年9月7日の様々なイタリアの新聞。
沢山売られていた新聞の中から自分の心に響いた新聞社の物を購入した。



多くの新聞は、「世界中が泣いている」「テノールの第一人者を失った」などというものだったが、LA STAMPA(ラ・スタンパ)の見出しは心に響いた。

「Pavarotti, ultimo atto」

「ultimo:ウルティモ」=「最終の、最後の」
「atto:アット」=「行い、動作、(オペラなどの)幕」

僕は、この新聞の見出しを見たとき「パヴァロッティは、(まだ、テノール歌手として)最終幕を演じているのか!」と、新聞を買うときに涙をし、新聞を開くと再び涙をし、ミラノから移動している列車の中で涙を流した。
自然に流れていた。

それくらい、僕にとっては印象強く、とってもシンプルな文章でした。







2007年9月8日15時、彼の出身地モデナのDuomo(ドゥオーモ:大聖堂)でほぼ国葬と同じような大規模な葬式が行われた。
(一般弔問は、8~9日に行われた)


葬儀には、プローディ首相をはじめ多くの招待者が参列した。

葬儀は、ヴェルディの歌劇「オテロ」~「Ave Maria(アヴェ・マリーア)」の歌から始まり、グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」~「精霊の踊り」のフルート演奏、モーツァルトの「Ave Verm Corpus(アヴェ・ヴェルム・コルプス)」と続いた。
最後は、パヴァロッティが1978年に父フェルナンドとふたりで歌った「Panis Angelicus(パニス・アンジェリクス」が大聖堂に流れ、音楽に包まれた葬儀だった。

その後、娘のアリーチェ(Alice:アリス)ちゃん(4歳)が、«Papà, so che mi hai tanto amata e so che mi proteggerai sempre»
「パパは、私をとても愛してくれました。それと、これからもずっと私を守ってくれるでしょう」と読み上げられ、パヴァロッティの棺は大聖堂から運び出された。



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写真:パヴァロッティ、葬儀中のモデナ大聖堂。
この写真はPupia.TVの記事から引用させてもらいました。

パヴァロッティの遺体が収められた棺桶は、白いカエデで作られ、パヴァロッティが好きだったヒマワリで多い尽くされた。




2006年、ピエモンテ州トリーノ(Torino)で行われた冬季オリンピックの開会式でパヴァロッティがプッチーニ作曲の歌劇「トゥーランドット」~誰も寝てはならぬ!(Nessun dorma!)を歌っていた。

「こんなにパヴァロッティが歌えるなんて!」と思ったくらい素晴らしいアリアだった。

録音しておかなかったのが残念だったが、You Tubeで「pavarotti torino」と入力し検索をすると、このときの映像を見ることが出来る。

パヴァロッティにとって、この舞台が最後のステージとなってしまった。。。




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写真:フィレンツェのVia dell'Oriuolo(ヴィーア・デッロリウオーロ:オリウオーロ通り)にある中古レコード店で見かけた、1964年にデッカ社から発売されたパヴァロッティのオペラ・アリア集のデビュー・レコード。
2007年9月8日 フィレンツェにて



このブログは、イタリアにいる時に書きたかったですが、時間がなく書くことが出来ませんでした。
非常に残念です。


写真撮影、地図製作:奥田英之
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by vagaoku | 2007-11-25 15:04 | musica/音楽 | Comments(0)
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